久留米の情報誌SECONDに乗せたコラムです。(2022年6月)
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「今電話してもいいですか?」23時過ぎにそんなメッセージがくる。
今日も来たか、「いいよ」と返信する私。
スマートフォンの画面が暗い部屋の中を明るく照らし、ブルーライトが眼底に突き刺さる。
気だるい私の指先が画面の通話マークをスライドする。
「お疲れ様です」状況的には、大人の恋愛、松任谷由美の曲が聞こえてきそうである。
相手がオッサンで、しかも深夜にも関わらず異常に元気なことを除けば。
「お前は彼女か!」
なんだってこんな夜更けに、オッサンがオッサンの相手をしなければならないのだろう。
電話の進化は人間をより不自由にしたと思う。
月曜日の朝、通勤途中に電話がなる。
「もしもし」というよりも先に「お疲れ様です!」
いったい、いつだと思っているのだろう。
月曜の朝なのである。旧約聖書の神様は世界を作った後に、日曜日に休んだらしい。
つまり私が神なら、よーし休んで体力回復、気分もいいから、あと一つ世界作るかと思っているときである。
さらに、週休二日制である、天地創造という難行を行った神様よりも1日余分に休んでいるのだ。
元気があるに決まっている。
そんなときに何故、疲れていると思うのだろうか?
これから山に登ろうとしている人に向かって「疲れてますね」とは言わないだろうし、
マラソンのスタート前の人に「お疲れ様です」といっても、実際に疲れるのはこれからだ。
張り切って行きましょう!と言ってほしい。
「お疲れ様です」という言葉が相手を気遣っての言葉であろうことはわかる。
どうやらギョーカイ言葉というやつらしく、テレビ局などでは、いつ帰っているのだろう?
この人は会社に住んでいるのではないか?と思われるような人がいるらしく、
朝一に充血した目にボサボサの髪という、
もはや何かの妖怪か、悪霊に取りつかれているのではとおぼしき風貌をしているらしい、
そんな状態の人に声をかけるのは・・・確かに「お疲れ様です」になるのだが。
しかし、私はギョーカイ人などではない。
挨拶としての「お疲れ様です」はどうにも、納得がいかない
今日初めて会った人に言われると、なにか、私は疲れてそうな顔をしているのだろうかと鏡を見てしまう。
その点、英語はいい、How are you?(元気ですか?)What’s up?(調子はどう?)
疑問文でくる。
こちらに、選択肢がある。
これにならって「元気ですか?」と元気よく挨拶してほしいものだ。
いやまてよ、深夜に「元気ですか!!」とプロレスラーのように元気の押し売りをされるのも困る。
その時間は、やはり、疲れているのだ。
つくづく挨拶は難しい。