(久留米の情報誌 SECOND に乗せたコラムです。2022年12月)
今年もあと残すところ後一ケ月、師走である。
12月のことを、師(先生)も走るくらい忙しい月というので、 師走と呼ぶことはご存じだろう。
このコラムを書くと、読者の方からコメントを頂くことがある。 読者プレゼントにある、面白かった記事は? にコメントを書いていただくと、発行者さんから、 こんなコメントが来てましたよと教えてもらえるのだ。
「野中さんは、いったい何の仕事をしているのですか?」
コラムに、他の方と違って仕事のことを全く書かないから、 あなたの本業はいったいなんなのだろうと、思われるのだ。
本業は、税理士であるのだが、仕事上、”先生” と呼ばれることがある。
弁護士や税理士、司法書士といった〇〇 士と呼ばれる仕事は、”先生”と呼ばれる場合があるのだ。
資格を取った当初は”先生”と呼ばれることに、 多少の恥ずかしさはあったものの、自分も偉くなったものだと、 天狗の鼻を伸ばしていた。
そんなある日、辞書をパラパラとめくっていた。 めくっていた辞書は日本で一番有名な辞書、”広辞苑”。 ページ数が3000ページを超える代物だ。 胸ポケットに入れておけば、 拳銃の銃弾を受け止めることができるであろうし、 漬物石がない場合は、その程よい重みが役に立つだろう。 なんなら、武器としても使用できそうだ。
電子辞書やタブレットにはない利点がそこにはある。
とあるページに目が留まった。
せんせい【先生】という見出しだ。
”【先生】意味
①先に生まれた人。”ほうほう、それはそうだ、
②学徳の優れた人”、なるほど。
ところがである。なんと意味の5番目に、 恐ろしいことが書いてあった。
それは、
”⑤他人を、 からかって呼ぶ称”。
”からかって呼ぶ”。なんということだろうか。
私は、”先生”と呼ばれて気を良くしていたにも関わらず、 その中にはからかってバカにして呼んでいた者がいたのである。
確かにそうだ、”先生”。ドラマなどの中で、 オジサン代議士がクラブで美女を侍らせてるときは、必ず”先生” と言われているし、なんだか、面倒事を頼むときは”先生” って使ってしまうし。
あれは、敬称でもなんでもなかったのである。
だが、このことは”先生” と呼ばれるものは胸に秘めておかなくてはいけないと思う。
”先生”と呼ばれて、 いい気分になって自分が偉いと勘違いすることがないようにしなけ ればいけないのだ。
”実るほど頭を垂れる稲穂かな”という言葉がある。
偉くなればなるほど、腰が低くならなければならないのである。