久留米の情報誌SECONDにコラムを載せてもらいました。(2022年7月)
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「電線にとまるカラスは何故同じ向きにとまっているのだろう?
後席の4歳の息子が答えてくれた「鳥はね、 風上に向かってみんなとまっているんだよ、 風向きを変えてみるとみんな違う向きに変えるんだよ」
ほう小さいながらそんなことを観察していたのか、 というわけではなく
どうやら、 NHKの子供向けテレビ番組で同じことをやっていたらしい。
その言葉を聞いてなるほど、そうかと納得できた。
鳥は飛行機と一緒である、空を飛ぶものである。
飛行機が滑走路を滑走して揚力(浮く力)を生み出すのと同様に、 カラスも電線から飛び降りるときに羽根を広げて揚力(浮く力) を発生する。
つまり、 風上に顔を向けておかないと飛び降りたときに羽根に風を受けれず 、揚力が発生しないのだ。
おまけに風下に顔を向けると、 羽根に風が入り込んで姿勢を保てないのだ。
考えれば至極まっとうなことである、 わかってしまえば逆に何故それに気が付かなかったのかと思うほど である。
なんとも不思議な気持ちがする、頭では分かるのだが、 何も無理して風上に飛ばなくても、 疲れはしないか大変ではないかと思うのである。
大空にはばたく鳥、私たち人間には真似ができないことである。
パタパタと空を飛ぶ鳥を見て、 大空を自由に飛ぶためには向かい風でなければならないということ に驚きを感じずにはいられない。
向かい風でない無風の状態でも、 鳥が羽ばたくときには数歩助走をつけて、空に舞い上がる。 自らの助走する力で相対的に向かい風を作っているのである。
自らの人生を考えるに、 逆風が吹かなければ空を飛ぶことができないのであろうし。
安全な場所から、飛び降りることをしなければ、 飛び上がることができないのである。
風に背を向けて、追い風を受けるときつくはないだろうが、 その場から飛び降りればたちまち、 失速してしまい墜落してしまうのだ。
自分が辛いなと感じているときこそ空を飛べているのだと鳥を見な がら思った。
自然を眺めると、色々なことが見えてくる。
春の小川を泳ぐメダカも川の流れに逆らって泳いでいる。 あんな小さな体でよく頑張るものだ。
自由に空を飛んでいる鳥を見て、 羨ましいなと思っている私たちは、 その人生が少し疲れるなと思ったのなら、 それは空を飛んでいる実感なのかもしれない。